2024年

新年明けてすぐに能登地震、飛行機事故、都内での無差別通り魔未遂、立て続けにいろんなことがおきて、今だに気持ちの整理がつきません。

 

2023年、過去の消えかかったトラウマが再来して

苦しい1年の中、なんとか茶道を通して日本の文化や四季を感じながら穏やかにリハビリしてきました。秋からはダイエットも目標に毎日10km走るようになり、コミュニティのオフ会にも参加できるようになり、ようやく落ち着いてきた矢先だったので、、、

難しいですね。

 

TVも大御所芸人のまた嫌なニュースで、

私自身もモデルを始めた頃の嫌なことを思い出してしまい、バラエティが見れなくなりました。

着いて行った女性に対する批判的コメント、を見るたびに、お前が被害に遭ってみろって思ってしまいます。弱い立場の人は断れないものですよ。

ましてや、その世界で夢を追って生きている人にとって、権力を持っている人に逆らう勇気はなかなかない。苦しくても我慢するしかない人もいるんです。

たくさん応援してる漫才師さんもいるからほんとは見たいけど、、司会にあの方がいると見たくない…

 

今年も自分と向き合う時間が必要に感じてます。

被災地のみなさんが早く暖かいお部屋でゆっくり睡眠が取れることを願いつつ、誰かのために動ける自分になるために、まずは、私自身が心身ともに健康であるように心がける年にしたいと思います。

 

現在は茶道の修行をしながら和菓子作りも勉強中です。

50歳超えてからの新しいチャレンジですが、

見守ってくださるとありがたいです。

 

 

 

畳文化

そ茶道を初めてから、和の文化をすごく身近に感じるようになりました。

昔から当たり前に生活にあった畳。

その向きやヘリ、ヘリを踏まない歩き方。

お稽古では踏まずに歩くってことしか習わないが、なぜなのか気になります。

Googleさんはほんと有難い。

たくさんの方が先生になって教えてくださります。

 

今回調べてわかったことは、

いろんな意味合いはあるけど、茶道的な見方をすると、上座と下座の境界線であったと言うことです。

確かに、畳のヘリ下で挨拶をし、お菓子を出す時もヘリ外。昔からパーソナルスペースにははいらいマナーなんですね。

しかも、かなり身分制度がハッキリしていた時代、位の高い人とちゃんと境界線があることでいろんな配慮ができたんだと感じます。

縁から下がって挨拶。

縁下る。謙る、遜る、謙遜の意味合いがあり、

和室の中で相手を敬うそんな気遣いが大切であることを畳から学べます。

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他にも縁を踏まない理由はいくつかありました。

武士の時代ヘリに家紋を使う家縁を使っていることが多く、その家の家紋を踏む行為は無礼であるからとのこと。

納得です。

人の名前を踏むなんてしちゃいけないのは当然。

 

いろいろ調べてみると作法一つにたくさんの大切な意味合いがあることを知ると自然とそういう所作になるのがわかりました。

 

あちこちで畳のヘリの模様も見て見ようと思います。

 

 

 

半世紀の反省とこれから

この数ヶ月、自分の生きてきた考え方や行動を自己分析して、すればするほど考えがまとまらずに今に至る。なので、自分の整理のためにも、書いてみようと思うし50歳という節目の年に気づけたことがありがたい。

 

まず、今年私の周りで起きたことを年明けから並べてながら、考えてみる。

☆更年期症状の悪化

 年明けから寝たきりから始まったが、その後漢方薬の処方でだいぶ身体は楽にはなったが、今こうしていろんなことを悩んでしまっている現状がもしかしたら、症状の一つで精神的なものかもしれないとも思っている。

 

☆幼馴染の自殺

 自分から望んだもの。最初に聞かされたときは

ショックもあり、自分を責めた気持ちもある。

長年連絡もそんなにしてこなかった。

おとなしくて、自分の意見をいうタイプではなかったので溜め込んでいたのも大きかっただろう。

毎日のように一緒に切磋琢磨して、技術を磨き、師匠を支えてきた同士だったはずなのに、結婚を期に師匠と距離をとった私と、残った彼女の人生で何がきっかけだったのか、、

もう聞くこともできない。

 

☆トラウマの再発

世の中の性犯罪におけるニュースが相次いだことで、吹っ切れていたはずの記憶と恐怖が蘇ってしまい、夜道を歩くことも、電車で人と身体がくっつくことも怖くなっている。

まさか、この歳になってこんな状態になるとは思ってもいなかった…

 

☆仕事での大きな挫折

 もともと、喋りのプロではないのに、

引き受けてしまったことが失敗だった…。

これまで、何度かこなしてこれたことも、要因の一つではあるが、どんどんハードルが上がり、

1日で5万個、2億を超える予算で準備したものを

売らなきゃいけなくなったが、散々たる結果。

予算の半分をなんとか超えるレベルで、大きな損害を出してしまった。

原因は私の力のなさ、これに尽きるぐらい、何も出来なかった…。

人生において、初めての大きな挫折だと思う。

 

☆推しの炎上

 ご本人は計画的だったし、炎上も見越して起こしたことで、周りの反応にも手ごたえを感じているが、毎日ファンとして話を聞いて応援している

私には辛かった。

自分に対するアンチや誹謗中傷はなんとも思わないのに、家族が言われたらこんな気持ちなんだろうなと思うぐらい、何もわかっていない人の暴言にすごく傷ついた。

ネットニュースでいろんな芸能人がそれに対して嫌なコメントしてる人みんな嫌いになっていく…

 

☆親族の病気

 治らないし、介護も必要。だけど、医学の進化で生かされている…。

今年見た映画『ロストケア』。

高齢化社会の荒波をいよいよ、体感する。

 

☆友人の死

いつ会っても笑顔が印象的で、人のために動く男の子だった。若すぎる死。

交通事故の後遺症の悪化で、急にこの世を去った。人は後何十年生きることができるかもしれないし、明日居なくなる可能性もある。

 

 

この一連の私の周りで起きたこと。が原因で、

2019年から続けてきたLIVE配信ができなくなった。今年に入ってから収益化も出来なくなっていた中で、気持ちも落ち着かない状況で、どんな話題がきても考えがまとまらない中で発信することに抵抗もある。

忖度で生きている人が多いという社会、

組織が隠してきた犯罪によって生まれた多くの被害、匿名で誹謗中傷する人で溢れている世の中すべてに絶望感を持ってしまう。

反面、自分の生き方もそうなんじゃないかという自分自身への疑念。

そんな中で、真っ直ぐ芯を持っている人を間近で目の当たりにすると、50歳になって自分の芯がなんなのか考えさせられる。

 

誰とも喧嘩せず、いい顔をして生きてきた。

空気を読んで、自分が円滑油になることで誰とでも仲良くするフリをしてきた。

たぶん、自己満足だったのかもしれない。

徳を積むとはどういうものなんだろう…

 

今、茶道を勉強している中、禅を通して、人と関わることとはどういうことなのか、地球においての自然や命の尊さ。そして、自分自身が老いることや、死に向かってどういう生き様を残せるのか。

まだまだ、考えはまとまらないし、この先もずっと悩みながら生きていくんだろう。

50年、悩みがほとんどなく生きてきた私が、今こうして立ち止まって自分の行動や言動を考えることができたのはよかったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

改正入管法

もめにもめた国会。

日本ってずっと鎖国してるよね。そして、多くの日本人はそれに気づいてない…

情報閉鎖されすぎて、悲しい…

 

賛否あるのはわかるが、私は難民受け入れ賛成派である。治安なんてものは表面だけで、今若者は仕事もなく,闇バイトに手を出す日本。

そもそも人口減少と、経済立て直しができてないのに、高齢者が自分たちは逃げ切れるからと見ないふりをしてきたツケだ。

 

人道的に、目の前で虐待されてる人がいたら、

日本人じゃなくても助けるのが当たり前だと思う。今回の改正に賛成した与党は外国人は助けないという、冷酷な人間たちだ。

もちろん受け入れた後の問題も山積みなのはわかる。だか、そもそもの審査自体が適当にしてる時点で法案を通すのは、悪事に蓋をして、さらに加速させて、トップいいなりの判断しかくだせないいい加減な組織を国で作っている、

 

政治的なことは表で発信することは控えてきた…

でもこれはさすがに強引すぎたし、難民に対しての日本の対応はこれまでも酷すぎたのを知っているから怒りをどこにぶつけていいかわからない。

 

 

 

 

 

50歳からの手習

2022年1月、年末に50歳を迎えるにあたり、

ここから、なにかチャレンジできることを始めてみようと昨年12月に決めて、茶道を習い始めました。

短大時代に2年間だけサークルで茶道経験はありましたが、お煎茶のお稽古だけで卒業…

抹茶は全くの初めて。

 

1月の初釜に体験に行かせてもらい、全くわけがわからぬまま、、

2月から本格的にお稽古スタート。

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略式お点前→炉の薄茶点前→運び薄茶点前→棚の薄茶点前鶴瓶水指薄茶点前→葉蓋の薄茶点前

→洗い茶巾お点前→茶箱お点前→運びの濃茶手前→棚の濃茶点前→立礼式薄茶点前長板階具の薄茶点前→替え茶碗の薄茶点前→貴人点の薄茶点前→貴人点の濃茶

 

更々棚→丸卓棚→瓢棚→寿棚→長板→誰ヶ袖棚等

 

毎回、棚や道具によって順番が違うし、炉と風炉でも変わるし、年に一回だけのお稽古もあり、頭の中はパニックです。

 

日日是好日』と言う樹木希林さんが演じていた映画を見て、茶道の奥深さに感動したのが数年前。

まさか、自分自身が体験することになろうとは思いませんでした。

 

2023年6月現在、1年5ヶ月でなんとなく、初釜での流れが少し理解できるようになってきました。

一人前になるのに10年以上、わかる気がしますし、死ぬまで極めることができないのがそういう道なんでしょうね。

50歳を超えてから勉強することの楽しみ、新しい趣味を持つことの生き甲斐を感じながら、日々を過ごしています。

 

7月からお稽古の様子をblogにあげていきますね。

 

 

 

 

ファッションデザイナー資格取得

日本デザインプランナー協会が発行している資格でファッションデザイナー認定をいただきました。その他、服飾士、カラーセラピー、色彩インストラクター、カラーアドバイザー。

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まず、この資格はファッションの歴史、お洋服や靴、帽子、着物に至るまでのパーツやそのバックグランド、使い方などを、把握しているかどうかの勉強でしたので、元々ファッション好きなわたしには1日テキストを読んだらほぼ完璧に答えられるものばかりでした。それでデザイナーができるのか?については、、未知数です。

自分でブランドを立ち上げるイメージを持つ方もいるでしょう、好きなブランドに就職して見習いから勉強していくこともあるかもしれません。

この資格はW資格で服飾士の認定もいただきました。スタイリングの提供、ってことはアパレルに勤めて店頭でお客様にスタイリングを提供するのも服飾士の範囲です。

 

つまり、

資格は自身の知識を身につけるだけのもので、

これを実践に活用するのは私自身、何でもできるのです。

 

前置きはこれくらいにして、

私がこの資格を取ろうと思ったきっかけ。

これはある方との出会いによってたどり着いたものなのです。

モデルのお仕事をしていて、4年前ぐらいになりますか、、ファッションショーでブランドさんとモデルという立場でお会いしたのが最初です。

マリエフルリールというブランド、私は全く存じ上げていなかったにもかかわらず、ショーの主催から私の元に送られてきたマリエフルリールさんのサイトを見た瞬間に衝撃を受けたのです。

追い求めてきた私のファッションの境地がそこにありました。

学生時代に中森明菜さんのdesireの衣装、みなさん、頭にすぐ浮かんでくるかと思います。

おかっぱのウィッグに着物をかっこよくワンピースドレスとして着こなし、パンプス履いて歌う姿。学校の文化祭で見よう見まねで来て歩いたのも思い出します。

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ただ、私自身当時は琉球舞踊家として活動していましたし、伝統芸能の世界にいて、しかも沖縄という狭いコミュニティ暑い日差しの中で普段着に派手な着物を洋服にして歩いているとかなり異様な人の目が向けられます。

自分のファッション原点を忘れたまま、結婚、出産を経てようやく自分のやりたいことができる状態になったのに、なぜか人前にでる仕事しかしてきていない私はモデルという職業を選んてしまったのです。

それは自分の意志など通用しない、クライアントが望む衣装、雰囲気、喋りを提供するのが仕事です。

髪型もお母さん役が似合うように黒髪で結える長さをキープ。主婦らしい格好。

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そういうお仕事をしている中で唯一楽しかったのがショーでした。ブランドさんが私に似合う衣装を選んで着せてくれる。幼い頃憧れたドレスを着てお姫様になれる時間です。

そんな中で出会ったマリエフルリールというブランドは私がずっと着たかった衣装そのものを、ずらっと並べて私の前に現れたのです。

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デザイナーのANNAさんと出会えたのが運命なかのように、都内にあったお店を鎌倉に移転するというタイミング。

大船よりの戸塚に住んでる私にとって、鎌倉はほんとご近所。近くに同じファッション感覚を持つ友人ができる喜びは人生において、そう何回もあるわけではありません。一生に一度あるかないかぐらいだと思います。

少しづつ着物を持ち込んで作ってもらうたびに

おしゃべりがつきません。

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日本の昔ながらの着物が好きということ。日本の着物は現在のアパレルの闇に巻き込まれず、絹や、コットンといった土に還る環境にも配慮されているということ。

着付けというハードルの高さで着なくなって、タンスに眠っているのが多いので、現代風におしゃれに着れるスタイリングを提供すること。

シミや破れた古い着物はエコモノとして、和小物や現代雑貨に変えて使用できるようにする。

もー、何もかもが、理想でした。

 

そうなってくると自分でアレンジしたくなってきてしまったのです。

若い頃来た着物や羽織が大量に眠っている私の衣装ケース。舞台用の着物もあれば、練習に使っていた小紋。授賞式などで作った付け下げや留袖。

貴重で高価な紅型や芭蕉の着物まで、使わずに20年。

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裁縫、苦手…手芸店、行ったことない50年。

ミシンを触らずに生きてきた人生。

趣味程度にしか作ることはできないですが、

50歳からでも何か初めて10年頑張ればいつかは人に来てもらえるようなリメイクができるはず。

若い方に着物を気軽に着てもらえるように、普段から自身のファッションに取り入れていくことが、マリエフルリール、ANNAさんへの感謝になるかな〜なんて、、思ってみたりしています。

 

チャレンジし続けるのに年齢は関係ない。

出会いや直感、そして行動するだけですよね。

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新しい世界への入り口にたったばかり。

楽しいことへ繋がるといいな。

 

 

 

 

 

 

商品アドバイザーのお仕事

7月の放送も無事に30分でsold outとなり、ホッとしています。

3月から3ヶ月の間に嬉しいお言葉もたくさんいただきましたが、レビューで、使い方を間違えた方が数人いらっしゃったみたいなので、今回は使い方や注意点をかなりお話しさせていただきました。

売れる商品はどんどんハードルが上がり販売数も前回の倍近く。

以前モデルとして使っていただいた商品は売れたことにより放送回数を増やしすぎて、売れなくなり打ち切りになったこともあります。

そんな世界で日々、キャストさんは戦っていらっしゃるので、わたしごときが、大したコメントもできないですが、回数を重ねることでコツも掴んでいくものもあると自分に期待をして、次回もがんばります。