ファッションデザイナー資格取得
日本デザインプランナー協会が発行している資格でファッションデザイナー認定をいただきました。その他、服飾士、カラーセラピー、色彩インストラクター、カラーアドバイザー。





まず、この資格はファッションの歴史、お洋服や靴、帽子、着物に至るまでのパーツやそのバックグランド、使い方などを、把握しているかどうかの勉強でしたので、元々ファッション好きなわたしには1日テキストを読んだらほぼ完璧に答えられるものばかりでした。それでデザイナーができるのか?については、、未知数です。
自分でブランドを立ち上げるイメージを持つ方もいるでしょう、好きなブランドに就職して見習いから勉強していくこともあるかもしれません。
この資格はW資格で服飾士の認定もいただきました。スタイリングの提供、ってことはアパレルに勤めて店頭でお客様にスタイリングを提供するのも服飾士の範囲です。
つまり、
資格は自身の知識を身につけるだけのもので、
これを実践に活用するのは私自身、何でもできるのです。
前置きはこれくらいにして、
私がこの資格を取ろうと思ったきっかけ。
これはある方との出会いによってたどり着いたものなのです。
モデルのお仕事をしていて、4年前ぐらいになりますか、、ファッションショーでブランドさんとモデルという立場でお会いしたのが最初です。
マリエフルリールというブランド、私は全く存じ上げていなかったにもかかわらず、ショーの主催から私の元に送られてきたマリエフルリールさんのサイトを見た瞬間に衝撃を受けたのです。
追い求めてきた私のファッションの境地がそこにありました。
学生時代に中森明菜さんのdesireの衣装、みなさん、頭にすぐ浮かんでくるかと思います。
おかっぱのウィッグに着物をかっこよくワンピースドレスとして着こなし、パンプス履いて歌う姿。学校の文化祭で見よう見まねで来て歩いたのも思い出します。

ただ、私自身当時は琉球舞踊家として活動していましたし、伝統芸能の世界にいて、しかも沖縄という狭いコミュニティ暑い日差しの中で普段着に派手な着物を洋服にして歩いているとかなり異様な人の目が向けられます。
自分のファッション原点を忘れたまま、結婚、出産を経てようやく自分のやりたいことができる状態になったのに、なぜか人前にでる仕事しかしてきていない私はモデルという職業を選んてしまったのです。
それは自分の意志など通用しない、クライアントが望む衣装、雰囲気、喋りを提供するのが仕事です。
髪型もお母さん役が似合うように黒髪で結える長さをキープ。主婦らしい格好。


そういうお仕事をしている中で唯一楽しかったのがショーでした。ブランドさんが私に似合う衣装を選んで着せてくれる。幼い頃憧れたドレスを着てお姫様になれる時間です。
そんな中で出会ったマリエフルリールというブランドは私がずっと着たかった衣装そのものを、ずらっと並べて私の前に現れたのです。



デザイナーのANNAさんと出会えたのが運命なかのように、都内にあったお店を鎌倉に移転するというタイミング。
大船よりの戸塚に住んでる私にとって、鎌倉はほんとご近所。近くに同じファッション感覚を持つ友人ができる喜びは人生において、そう何回もあるわけではありません。一生に一度あるかないかぐらいだと思います。
少しづつ着物を持ち込んで作ってもらうたびに
おしゃべりがつきません。

日本の昔ながらの着物が好きということ。日本の着物は現在のアパレルの闇に巻き込まれず、絹や、コットンといった土に還る環境にも配慮されているということ。
着付けというハードルの高さで着なくなって、タンスに眠っているのが多いので、現代風におしゃれに着れるスタイリングを提供すること。
シミや破れた古い着物はエコモノとして、和小物や現代雑貨に変えて使用できるようにする。
もー、何もかもが、理想でした。
そうなってくると自分でアレンジしたくなってきてしまったのです。
若い頃来た着物や羽織が大量に眠っている私の衣装ケース。舞台用の着物もあれば、練習に使っていた小紋。授賞式などで作った付け下げや留袖。
貴重で高価な紅型や芭蕉の着物まで、使わずに20年。

裁縫、苦手…手芸店、行ったことない50年。
ミシンを触らずに生きてきた人生。
趣味程度にしか作ることはできないですが、
50歳からでも何か初めて10年頑張ればいつかは人に来てもらえるようなリメイクができるはず。
若い方に着物を気軽に着てもらえるように、普段から自身のファッションに取り入れていくことが、マリエフルリール、ANNAさんへの感謝になるかな〜なんて、、思ってみたりしています。
チャレンジし続けるのに年齢は関係ない。
出会いや直感、そして行動するだけですよね。




新しい世界への入り口にたったばかり。
楽しいことへ繋がるといいな。
ポートレート写真展
ROSSOGALLERY vol.12
ポートレート写真展『KISS』
無事に終了いたしました。

今回の展示2点と悩んだ1枚を3点お披露目します(^-^)



被写体が人である場合、その方との距離感が
見えてきます。
そこは遠くても近くても素敵な写真はたくさんあって、技術や経験でおぎなえるものかもしれません。
わたしは技術も経験もないので、
実際の距離感が近い、臨場感を大切にしたいと思って撮っています。
今回は悩みに悩んで思い切って、
ポートレート界隈では知らない人はいない
清水 麻里さんにお願いました。
『KISS』というテーマから、なんとなく、
日本ではまだまだ世間が追い付いていないLGBTの問題が頭に浮かんできたのです。
だとしたら、被写体は女性にしよう、と考えましたが、なかなか私のイメージする写真を撮らせてもらえる人がいるかかどうか…
だとしたら、モデル経験が豊富な方なら聞いてもらえるかも、と考えました。
女性二人でホテルに入る経験もお互いに初めてでしたが、
中に入ってなんとなくイメージしたものを伝えていろんなバージョンを撮影。
身体にキスマークしたい…
でも言いづらい…
麻里ちゃん『いっぱいキスマークは?』
な、なんと、麻里ちゃんから言ってくださった。意思疏通もバッチリ‼️
遠慮なく身体中にわたしがキスマークつけまくりました(笑)
カラー写真ならキレイだったかもしれません。が、なんせカメラにはモノクロフィルム。
でも、イメージしたものが撮れたのは
ほんと、モデルを引き受けてくださった
麻里ちゃんのおかげです。感謝。感謝。
ありがとうございました。
ほぼ写るんですに近いカメラと懐中電灯での
アナログ感満載の撮影ですが、
いつか私なりの個性が見える写真を目指して
これからも挑戦しつづけます。
見に来てくださったかた、感想くださった方、差し入れもほんとにありがとうございました。



また、主催の中嶋さん、市原さん、参加メンバーのみなさま、この機会と楽しい時間をありがとうございました。
慰霊の日
6月23日
『慰霊の日』
故郷への想いは、毎年この日が一番強いです。
絶対に風化させちゃいけない。せめて、一度でも生活の拠点を沖縄にしたことある方なら、分かると思います。
戦後74年。
基地に囲まれている沖縄では
経済も働く場所もアメリカが隣人。
貧困の格差、届かない声、
アメリカとの複雑な関係。
賛成、反対ではなく、どちらも選択できないくらいに何十年も放置され続けた現実を、1人1人が考えて欲しいと思います。
今の自分が存在するのは、祖先の命があったから。
大切な人が生きている。そんな当たり前の生活がなくならないように、、
平和を願い、過去の犠牲に手を合わせる。
あなたにとって、戦争はテレビの中ではなく、すぐ隣にあるのですよ。
メニエール再発
発症してからもう10年くらいになります。
当時は訳もわからず、難病になったのかと思ったほどの病院めぐりをした記憶があります。
メニエールと診断されて、飲み薬で症状も緩和されてからは
まぁ、安静にすれば、いつかは治ると、ひらきなおって、病気と付き合ってはいますが、
やはり、目眩や嘔吐が伴うと、キツイ…
弱気になってしまいますね。
また、この症状が続くと、難聴がひどくなるなり、いつかは耳が聞こえなくなると医者からは言われているので、
できるだけ発作は起きてほしくないのですが、こればかりは防ぎ用のない。いつまた、発作が起きるのかが怖くなります。
毎年4月~5月と、暖かくなる時期がわたしは多いのですが、他のメニエール患者さんはどうなんだろう?
今年はまだ3月だけど、だいぶ暖かいからかな?
病に伏せるととりとめもなく、
こんな日記を書いてしまいますが、数時間安静にしてたら、すぐに元気になるので心配はなさらないでください。
さて、週末は楽しみにしている、
です。どちらも、まだまだ参加者募集中です。ぜひ、描きに来てくださいね。
再会
久しぶりに琉球舞踊のお稽古をしてきました。
長く離れていた世界。
でも私の原点です。
しかも当時では考えられないですが、
ちがう流派のお稽古場にお邪魔してきました。
家元制度の舞踊界、ちがう流派でお稽古はご法度です。
ただ、私はすでに引退していますし、この先、大きな舞台に立つことはないので、
初心者同様、稽古して踊る楽しみと、お稽古の雰囲気を味わいたかっただけなので、
先輩舞踊家の都内でのワークショップに参加させてもらいました。
わたしが学生の頃は男性舞踊家がまだ少ないころでしたので、
活躍している先輩はすごく憧れでもありました。しかもかなりのイケメン(^-^)
久しぶりの再会も、あの頃と全く変わらない先輩がいました。
長いブランクでしたが踊れば思い出すもので
自分でもビックリです。
あの頃、身体に叩きこんだものはそのまま覚えているものなんですね。
その気付きも新鮮でした。
また、お時間が合えば
お稽古参加したいと思っています。
月経困難症
私は長年月経困難症と戦ってきました。
小学生高学年で生理がはじまり、毎月のように、盲腸かと親が間違うほど、のたうち回る痛みで、救急車で運ばれたこともあります。
でも、当時は、ただの生理痛で痛み止めをもらっておしまい…
毎月学校を休んでいました。
成人してからは、ありがたいことに、
会社に毎月生理休暇が有給であり、助かりました。
結婚、出産してからはだいぶ楽になっていました。が、楽になっていたのか、、
子育てで痛みどころではなかったのか
覚えていません。
40歳ぐらいの時からまた、月経前症候群がはじまり、頭痛、腹痛、腰痛、吐き気、、(涙)
それからはずっとピルを服用してきました。
それでも、初日は頭痛、腹痛、腰痛
ダルくてキツイ…
痛み止めと併用して今にいたります。
ピルは血栓症への心配が常にあるため、
今年になってから、婦人科でIUSを勧められましたが、なんとなく、身体に器具を入れる勇気かなく、、ピルを続けてきたのですが、
最近は足がつったり、しびれたりすると、
血栓症が怖くなってきていて…毎日、朝起きて生きてる確認…
これは46歳になる前に器具をいれる決意をしなくては。
ミレーナってみなさんはご存知ですか?
生理4日~7日には装着しなきゃいけないために、計算して今週はいつでも大丈夫なようにスケジュールを空けて計画して、
本日ミレーナを装着。

今日は痛み止めを何回も飲んで
1日安静。
痛かった…

女性の身体って大変。
早く閉経しないかなーと願いながらも、
閉経したらしたで、女性ホルモンが少なくなるから、また大変なんでしょうね。
とりあえず無事に処置がすんだので、今日から血栓症への不安はなくなります。
月経困難症の症状が少なくなることを期待したい
沖縄見納め帰省
6歳~28歳の22年間過ごしていた実家。

来年には弟家族との同居のために建て替えです。建築関係の仕事をしていた父が建てた自宅は当時にはめずらしく、斬新なアイデアがつまっていました。
障子を壁の中に入れてしまえば、キッチン12畳と和室6畳間、廊下、10畳間がすべてオープンになる広い空間と、私たち子供部屋には壁一面の本棚、備え付けのタンスは引き出したら、さらに奥の引き出しがある仕掛けもあり、自慢のおうち。


横浜に嫁に来てからはなかなか帰れず、
妹も海外に嫁ぎ、弟は長く独身生活のため、両親二人だけの生活をこの15年あまりさせてしまいました。
口では言わないものの、親戚が多い沖縄では孫自慢が周りにはたくさん、、
わたしも妹も子供を沖縄に連れていくのは数年に一回なので、心苦しく思うこともしばしば。
弟が結婚して5年、ようやく去年の末に内孫ができて、現在に至ります。

来てくれたお嫁さんには感謝しかなく、しかもこの同居はお嫁さんから申し出たこと。
自宅はどこも、修復が必要ないくらい、まだまだキレイなんですが、
両親の年齢と、弟家族のこの先の生活を考えたら、今が一番ということで決心したようです。
私も妹もすぐには駆けつけられないので、側に弟家族がいてくれたらほんと、助かりますし、なにより、孫がいるだけで明るくなりますね。

私の着物や舞踊小道具など、ずっと置いてあったものを、引き上げてきました。
荷物整理をしていて、懐かしさと、大切に育ててくれたありがたみを感じました。
兄弟3人
舞踊、エレクトーン、書道、太鼓、卓球、
いろんな習い事や短大、大学まで、なに不自由なくだしてもらい、舞踊は、教師になるまで、応援し続けてくれました。

改めて、
お父さん、お母さんありがとう。