思い出の長崎
1990年、長崎市長銃撃事件のあった頃、
私は高校生で大学受験を控えていました。
当時の進路指導をしてくれていたのが国語の先生で、
『平和についての作文10枚書いたら推薦しあつあげる』と、言われて、
藁にも掴む思いで作文を書きました。
後から知ったのですが、
私が通っていた学校のある西原町は非核宣言都市。非核宣言都市同士が集まる全国的な集まりがあり、そこに地上戦があった沖縄から代表して高校生を参加させる計画があり、
私はその論文を書いたことになってました(笑)
まぁ、素直に平和を思い書いた作文が評価され、短大も推薦でいけたのでありがたかったです。
実際にその年の今日8月9日。
長崎平和記念式典に参加させてもらい、
非核宣言都市会議にも参加しました。
高校生は沖縄からの3人だけでしたので、取材や、参加されていたあちこちの偉い方に囲まれて、何を話したのかはほとんど覚えていませんが、、
天皇の責任問題や銃撃事件で注目されている中で学生が平和を訴えかけるのは
めずらしいことだったのかもしれません。
沖縄の教科書問題も提議したような気がします。卒業式の日の丸で教師も割れていましたからねー。
今では当たり前のように行われていることがタブーだったり、、
でも小さな、田舎町のただの学生でも、
言いたいこと、訴えたいことを言ってもいいんだ、そう自信ももらえたし、
なにより沖縄で産まれ育った運命だからこそ、ずっと伝えていかなきゃいけないことなんだ、と、今でも思っています。
それは長崎、広島に関わらず、悲惨な現場で命を落とした方々の魂を感じ、遺族の想いに耳を傾けること。
こうしてブログを書いているだけでもその時間、平和を願います。
だから、みなさんもこの発信を読んだ数分だけでいい、黙祷してくださいね。